現在のコロナ禍の影響によりアーティスト・イン・レジテンスが行えず、アーティストが横須賀のリサーチを行えない。そのため地域の方が現地特派員として、横須賀に滞在できないアーティスのかわりに横須賀をリサーチして、現地特派員が見たこと、感じたことをレポート、写真、映像をアーティストと共有し、またアーティストとのディスカッションを行いながら、アーティストの作品制作に関わることを目的としたプログラムとして、現地特派員プログラムを発足しました。
現地特派員プログラムにより、参加する横須賀の地域の方々が、離れた地域に住むアーティストとの交流をきっかけに、自身の地域を改めて調べ、知るきっかけとともに、アーティストを介してさらに深くアートに触れるきっかけを作り、また地域における文化芸術活動の発展を担う人材の育成を図ることを目的としています。
その際参加していただいた現地特派員の方々の写真、映像、レポートを公開しています。


現地特派員がアーティストとリアルタイムにコミニケーションを交わしながらリサーチを代わりに行う。
その様子をVR配信することで、アーティストがVRゴーグルを装着することで、現地にその場にいるような没入感のもと、現地特派員と一緒にリサーチを行うことができる。
現地特派員によるリレポート
汐入の谷戸地区を探索して、そこにある住居やそれをめぐる環境に驚かざるをえなかった。しかし「谷戸」は本来、ネガティブさを表現するものではない。
「谷戸とは、丘陵大地の雨水や湧水等の浸食による開析谷を指し、三方(両側、後背)に丘陵台地部、樹林地を抱え、湿地、湧水、水路、水田等の農耕地、ため池などを構成要素に形成される地形のことです」(横浜市の公式サイトより引用)
谷戸の地形をいかし、稲作が行われた。
「たとえ小さくても緑の山懐に抱かれ、水が流れる谷戸環境には、夏の真っ青な田んぼ・秋の黄金色に輝く稲穂があり、柿や栗の木が実を結び、畦や水辺には様々な草花や小動物が、雑木林では野鳥がさえずり飛び交っている」(同上)
横須賀市に存在している谷戸地域は、別なものである。
「明治初期に軍港関係者が入居する際に開発され、戦後は労働者住宅も整備された」(2014年8月19日『東洋経済on-line』)
横須賀市の主導で開発された谷戸地区は、現在は空き家も多く、「限界集落」とも揶揄されている。
今回、谷戸地区を歩き、心を動かされる風景を写真と動画に記録した。その画像は、横須賀だけではなく、日本のどこにでもみられるであろう繁栄に取り残された姿である、と感じた。まさに、この国の影をみせられた不快な感情に襲われた。
今後も、他の谷戸地区の撮影を続けていきたい。
私は地元の出身で現在暮らしているのも谷戸地区の近くなのですが今回訪ねるまで行った事がありませんでした。身近な地域にも関わらずまだまだ知らない場所があると新鮮な気持ちになりました。
限界集落と聞き過酷な生活を想像しましたが実際訪れると昔ながらのゆったりとした暮らしが守られている豊かさを感じました。私にはとても素敵な場所でした。ただやはりインフラなど過酷な面もある事は否めず穏やかな暮らしを守りつつそういった面のサポートをいかに上手くやっていけるかが大事だと思います。一方で住民の方々は基本的に自立心があり余計な介入はかえって
邪魔になり嫌なのではないかとも感じました。あくまで足りない事を補うという事だけしか求められていないと思うのです。
それには果たしてアートが関われるのか、むしろ余計な物になってしまうのではないかと考えてしまいました。その時に思い出したのが写真に送った椅子です。地域の方が作られたそうですが長い道中休みながら行けるように置いたそうです。楽しげな明るい色で塗られているのに浮く事もなく場になじんでいました。幅も取らず交通にも全く差し支えありませんでした。皆さん利用しています。こういった通る人への優しさに基づくちょっとした気遣いからくる物が自己表現がの為とは違った形の地域に受け入れてもらえるアートになるのではないかと思います。
今回のイベントの後近くの谷戸地区に似た地域を訪ねました。時々歩く場所ですが前とは違った視点で見る事ができ自分の中の地域に対する意識の高まりを感じました。不便に感じるような所でも工夫があり歴史がある事を知りました。イベントの参加は2回で終わりを迎えますが自分の中のライフワークとしてこれからも考えていきたいと思っています。
私は横須賀市内を目的に訪れたことが殆どなく、殊更汐入は名前だけ知っている、という感覚でした。そのため、集落や山中とだけ聞くと廃屋がほとんどを占め、自然と人とのバランスが崩れているような、そういう印象が先行していました。そこで今回汐入町谷戸を訪れるにあたって感じたことは、想像していたよりも退廃的でなく、人を感じることができる集落である、ということでした。
まず、山中ということもあり各住居に繋がる道は急斜面であったり、細道であったり、通ろうとするだけでも一苦労である場合が多い印象でした。ですが、孤立して建っている家よりも道中で隣接している住居が多く、そこには人と人との繋がりを垣間見ることができました。すれ違う住民は高齢の方が多い印象ですが、若者が全くいないというわけではなく何度か見かけることができました。この集落では移動の際には急斜面に差し掛かることがほとんどなのですが、いたるところに手すりが打ち付けられており、地形ゆえの不便さを感じさせない創意工夫が施されている点が随所に見受けられました。
都心部に住んでいると、便利であることが当たり前であり、無意識にそれを求めている自分がいましたが、今回汐入町谷戸を訪れることで新たに、住む事の意味を考え直すことができました。自然と人とを繋げる工夫こそが、町が在る上で大切な事なのかもしれません。
車も自転車もバイクも上がれない階段を登り辿り着いた谷戸地区。違う道から上がればバイクや自転車で来られそうだ。住人の居ない家、住人の居る家が混在。横須賀港が見渡せる高台、最寄りの駅までは下りで10分程度。鬱蒼とした木々、たわわに実る果実、咲き誇る花々。聞こえるのは、木々の音、虫の音、猫の声、横須賀港の観光案内、電車音。住人は景観が良く静かで良い立地だと言う。しかし住人は減り、20年間空き家という家がある。住人は何か人が集まる、観光となるものは出来ないかと言う。しかし、人が集まって騒がしくなることが本当に良いのか?観光では無く、住人が増えて賑わうことが良いだろう。全国に似たような地区はたくさんあるだろう。そのような地区を知ってもらい、魅力を発信することが出来れば良いと思う。しかし、どのような術をすべきか、私にはわからない。家をリフォームするにしても、材料を運ぶのが大変だ。空き家を再建するのも難しそうだ。住人の方々は建てる時にどうしたのだろう?そんなに古く見えない家も多々あった。実は古いがキレイに保っているのか?引っ越さずずっと住んでいる人がいるのだから、良い場所なのだと思う。自然に囲まれ、とても静かで居心地の良さを感じた。時々、訪れるには良い場所だと思う。訪れた日は晴天で良い気候だった。しかし、悪天候の日はどうなのだろう?雨の日、雪の日、強風、台風。地面はぬかるみ、坂や階段は滑りそうだ。外出をしなければ良い?そんなわけにもいかない日があるだろう。そんな日を気にしていたら移住は出来ない。ずっと住んでいる人は慣れていて気にならないのかもしれない。それが当たり前になるのだろう。便利な土地に生まれ育った私には不便な土地に思えるが、住めば都なのだろう。
階段の年輪
イベントのベースキャンプは、数十の植木鉢が並ぶ「国有地(所在地汐入町5-70-8のうち数量81.48㎡)」と書かれた看板前に置かれた。看板の奥には、物干しにえんじ色のスカジャンと髑髏のレプリカがつるされた平屋が一軒ある。このベースキャンプに実際に立ったとき、たどり着くまでの道程ではおぼろげだった感じが考えとしてまとまった。
谷戸は国有地、私有地、公道、私道が入り組みその境界が曖昧であるという事前説明は受けていた。しかし境界が曖昧なのは土地所有だけにとどまらない。時代、空間、自然の営み、人の営み、すべての境界が曖昧となって景観をかたちづくっているのが谷戸であり、その曖昧さこそが、自身の日常感覚にも越境してくる谷戸の底力、魅力なのだ。
そんななかで、今回、注目したのは、階段、擁壁の「ツギハギ」と「スキマ」である。谷戸の幹道の浦賀道は江戸時代にルート整備されている。以降、幾星霜を経て劣化、疲労してきた箇所があれば、その時々に、その時々の人の手、素材、組み方、固め方により補修が重ねられ、「ツギハギ」と「スキマ」が刻まれてきたことが窺える。そして「ツギハギ」と「スキマ」にはさらに苔や草花が野放図に育っていく。
樹木は一年ごとに年輪を刻む。年輪の幅は、気候などに影響を受け異なるため、地球の営みの記憶ともいわれる。谷戸の階段、擁壁の「ツギハギ」と「スキマ」は、年輪と似ている。それは谷戸に生きた人々の営みの記憶であり、いまも刻まれ続けている。
とても興味深いイベントに参加させて頂きました。最初は限界集落という文字から見たこともないような異国の景色を想像していましたが、現地に行くとまず、ここもこの横須賀の土地の一部なのだということを強く感じました。谷戸の大きな特徴として、とにかく階段や坂のアップダウンが続くことと、行く先行く先、見える景色が変わることが挙げられています。私も今回それを強く実感しました。ある場所では大きなショッピングモールが見えて、少し移動すると鉄塔が見えて、でもまた移動するとその目印が見えなくなっいる。おそらく、高低差のある地形によって、景色が分断されているのではないかと思いました。私は道がわからなくなりながら歩いているうちに、ここの土地をRPGのワールドマップに例えて動くようにしました。時々ある細い道を抜けると景色の特徴が大きく変わるので、その細道をエリア移動として利用し、私の中のエリア1、エリア2、エリア2.5を散策しました。ゲームの中では場所によって見える景色に限界があります。そこでエリア移動を使い、新たな景色を探しに行きます。この高低差によって景色が分断された場所の特徴に強く当てはまることが出来ると思いました。花と果物の細道を抜けると竹林のあるエリアに出れる。そんな風に攻略する感覚が生まれるのはこの土地の地形でしかないでしょう。とてもワクワクする一日でした。次にここに来る時は、自分の知ってい町と比較しながら、また新しい場所を見つけたいと思います。
横須賀の街中を少し歩くと突然目の前に100段以上はあると思われる急な階段が現れた。この山の上に住む人々は、一体どのように日々を過ごしているのだろう。買い物は?急病の時は?徒歩でしか行けないような坂の途中にいくつも家が建っている。現代的な家屋もあり、建材や資材をどうやって運んだのだろう。心の中にいくつもの疑問を持ちながら山の上に辿り着いた。
この場所でまず感じたのは、耳の感覚が鋭くなっていたことだ。都会での暮らしは、さまざまな音に包まれて過ごすことが当たり前だ。車や列車の大きな音。たくさんの人々の動作音や話し声、数々の案内放送。そのようなたくさんの音を「雑音」として耳が感じながらも脳は必要な音だけを拾い出して認識する。しかしここでは静けさの中に数少ない音だけが響いている。脳のフィルターを使うまでもなく耳がキャッチした音を私はただ受け入れるだけだ。今回動画で拾った音は、鳥や猫の鳴き声、風の音、私が落ち葉を踏む音、屋根の上で大工仕事をする音、住民の話し声だ。音に注目して歩いているとそのうちに道に迷っていても、車や踏切、港の音や鳥の鳴き声が聞こえる方向でどちらを向いて歩いているかがわかるようになったことが面白い発見だった。
また、途中で工事業者の方に出会った。大きな脚立を肩にかけ階段を下っていた。家屋と山の斜面が接近しているこの場所での作業では脚立は欠かせないアイテムなのだなと思いながら歩いていると、多くの家の庭先に脚立があることに気づいた。山の斜面に手が届くように立てかけられたり、柵の代用として使われたり、近道のために使用されたり、また自分達で家屋や庭の手入れをするためにも脚立が必需品として使われているのだということに気づいた。
この場所は山の上まで行き着くのは大変ではあるけれど、入ってしまえばいつまでもここに居たくなるような不思議な場所であった。
何名か住人の方々と話をしたが、みなさん気さくな方々でした。見知らぬ私達がウロウロしていても、嫌な顔せずに話してくれました。そして、地区の良さを話してくれました。静かで便利な場所だと。私からすれば、階段や坂が多く不便に思いますが、駅までは下りで10分、JR横須賀駅なら始発だから東京まで座って行かれる。東京まで通勤していたとか。イオンなら配達してくれるから、買い物に不便は無い。横須賀港が見えて眺めは良いし、とても静かで過ごしやすい。でも、やはり若い頃に比べると階段や坂は辛いらしい。しかし、住み続ける魅力があるようだ。木々に囲まれ、自然豊かな地域。下界とは別世界のようだ。楽に上り降りが出来れば良いのではと思うが、楽では無いから今の環境が良い意味で保たれているのではないだろうか。空き家が増え、人が減っているようだが、アパートがあった。3軒はあったと思うが、住んでいるのだろうか?空き室が多いのだろうか?あの地域には外国人も住んでいるらしい。家賃相場はどうなのだろうか?今回は何も調べずに参加したが、調べればもっと魅力が見つかり、面白い発見が出来るかもしれないと思った。また訪れてみようと思う。翌日の筋肉痛は覚悟して、また歩き回りたいと思う。
海と山。あるいは、基地と暮らし。日頃はつい忘れがちだけれど、この街を語るとき確かに認識をする、横須賀にある二面性を思う。
細く入り組んだ階段を登りきったその先で、高台から見えるのはこの街の静かな海。それは穏やかに深い青色の水面を見せながら、鉛色の無骨な軍艦や自衛艦を携えている。崖下ではその海岸に沿った国道16号線を、ありとあらゆる車が忙しなく行ったり来たり。車が走り去る音、米軍基地から聞こえる途切れ途切れの無線放送の音が、この澄んだ青空に響く。
西の方角に降りれば、さらさらと風が木々の間を通り抜け、谷に暮らす人々の暮らしを感じる。先ほど東側で鳴っていた、基地や街のざらついた音を忘れるほど、ひっそりとした住宅の数々。それでもゆっくりと足を進めれば、どこからか子どもの声や窓の開く音が聞こえ、日が高くのぼった昼時には、温かな食卓のにおいがやってくる。
私は背中にうっすらと汗をかきながら、コンクリートで舗装された階段を登る。上の方で、他所行きの格好をした高齢の女性が一段一段、ゆっくりと階段を降りる姿が見えた。いつからここに暮らしているのだろうか、なぜここで暮らすと決めたのだろうか、すれ違うと同時にそんな疑問がぽつぽつと湧き出てくる。しかしそんなことを唐突に尋ねるわけにはいかない。女性は足もとに注意を払いながら降り、目的の場所へ向かっていく。きっと日が暮れる頃には、一段一段息を切らしながらこの階段を登るのだろう。その女性の姿から、この谷での確かな暮らしを感じた。
横須賀市に住んで20年、ありとあらゆる場所を知っているつもりでした。
ところが、今回訪れた「谷戸地区」は実際には全くどんなところか想像がつきませんでした。
汐入駅をでると、突然急な階段が現れてびっくりしました。
こんなところから上がっていくのか、不思議な気持ちで階段を上がりました。
階段をあがり、坂を登っていくと商業施設や海が見えてきて、天気が良かったので
とても気持ちが良い景色でした。
その後フィールドワークで、好奇心の赴くままに歩き進んでいくと、高台だからか、
大きなみかんがたくさんなっていたり、大きな花が咲き乱れてて、まるで南国のようだと思いました。
12月といえど日差しが暖かかったのか、猫がひなたぼっこをしてて、のどかな雰囲気です。
とても静かで、かすかにどこからか、ラジオの音がしてきます。
道が左右だけでなく、上にも下にも階段や坂があり、ここを登っていったら何があるんだろう?と登っていくと、さらに左右に分かれていて迷路のようです。
ちゃんと元の道に戻れるだろうかと心配になりました。
途中下まで続く長い階段の道がありました。中間地点にいベンチがおいてあり、
きっと下から階段を上がってくる人が途中休めるように置いてあるんだなと
優しさがある場所だなあと私もそのベンチに座り周りを見回しながら、そう思いました。
よく見ると他の階段でも手すりがついていたり、訪れた人への配慮を感じました。
また、2.3人のマラソンランナーの方とすれ違いました。たしかに坂や階段は足腰が
鍛えられそうです。そういう地域の活用もできるのかと思いました。
また、船や軍港がよく見える場所にも行きました。谷戸地区が明治初期軍港関係者が入居するために開発された住宅地と知り、
その時代に働いてた人もこの高台からの景色を見ていたのかなあとふと思いました。
第一印象:
登り坂がきつい、行く先が見えないといった過酷さを感じた。初めて訪れた私は、舗装されている道しか進むことができなかった。しかし散策を進めていると家や案内、動植物、景色、ゴミなどを見つける宝探しのような楽しみを感じた。険しそうな道をほど何故か行ってみたくなった。序盤にこの地域には確立された地図がないことを知らされ、不便に思った。同時に「地図にしにくい」部分、(例えば道と雑草の境目、所有地の境界線、持ち主が定義されかねるエリアなど)について地図を作ることでなにか答えを出してしまうことにも抵抗を感じた。
散策を終えて:
京急線が通るこの地域は決して交通の便が悪いわけではなく、通勤通学が不可能ではない。一方で、少し山をのぼれば静かで穏やかな、生活者だけの空間に変わっていく。この生活環境を利用して、趣味やのどかな生活を楽しむ様子や、不法投棄や落書きといった悪事をはたらいたあとも見られた。ふと、自分がこの地域で暮らしを営んだらどんなことをするかを想像した。すると不思議なことにな「何もないからつまらない」という負の感情と「何もないから気楽そうだ」という正の感情を抱いた。次に谷戸を訪れるときはまた違った感情を抱くのかもしれないとも思った。
今回のアートイベントに参加するまで、「アート」というものに触れる機会が全くありませんでした。谷戸地域の写真、動画を撮影するにあたってどのような感性、意識で撮影に臨めばいいかわからないという不安、自分が知らない知見を得られるのではないかという期待、半々で当日の撮影に参加しました。
谷戸地域を軽く散策したときの第一印象は、「どの道が正解かがわからない」でした。正しいと思って進んでみれば、道が途切れたり、住民の敷地内に入ってしまったり、谷戸地域とは言えないような大きな道に出てしまったりと、歩いてきた道をさらに突き進むことに対して少し付きまとう“不安”と、何が道の先に出てくるかわからない“わくわく感”が混在しており、気づけば谷戸地域を散策することに対して没入してしまいました。
撮影するにあたってのテーマ決めの際に、私は「谷戸地域の道と、そうではない道の境界線を見つける」というテーマのもと、撮影に臨みました。今思えば、散策に没入できたことで自分の感覚で感じたテーマがすっと出てきたのだと思います。
まだ、私は「アート」に対する知見が狭いですが、今回のイベントでは自分が思うように自由に撮影、散策できたことが何よりも楽しかったです。他の参加者の方々からも撮影のテーマを聞いたことで新しい知見も得ることができました。またこのような機会がありましたら参加します。
「横須賀市は平地が貴重なんですよ」と、いつだか不動産屋の人が言っていたのを、谷戸のこの階段の多さににうんざりしながら思い出す。思えば市内にある実家に帰るときも、細い階段を登る。学生時代は家に帰る途中、階段を登り切った先で息を整えながら一度振り返り、登ってきたほうの景色を見るのが習慣だった。
あたたかな日差しがゆったりと降り注ぐ12月の空気の中で、谷戸の入り組んだ階段を一段一段踏みしめる。途中で民家の周りをぐるりとカーブしたり、段の高さが異なっていたりするそれらは、足元をしっかりと見ていないと踏み間違えてしまいそうになる。それにマスクをしながらのぼるのは、ことのほか息が切れる。
しかし階段をのぼらずにこの地域を知ることはほぼ不可能。仕方なしに、人が1人通れるほどの細い階段に足をかける。2段目、3段目と足を持ち上げるたびに、ふくらはぎのあたりがじんわりとだるくなるのが分かる。足元を見ながら、淡々と進む。少しマスクをずらす。そうしているうちに、階段の終わりが見えてくる。ようやくこの最後の一段を上り切ると、その先には平たく整えられた小道が続いていた。
習慣のように、私は後ろを振り返った。のぼってきた階段の下には、からりと乾いた葉っぱを纏う木々が広がる。視線を遠くに移すと、群青の海に浮かぶ自衛艦や潜水艦が見える。その向こうには、東京湾をゆっくりと進む大きな船、忙しなく煙をあげる煙突、白く霞む工業地帯。
階段を登る前には決して見ることのできなかった、ひらけた景色。その瞬間は、この足の疲労も息の苦しさも忘れ、まるでその景色を独り占めしたような気分になる。階段を登ってこなければ見ることのできないこのとっておきの景色を前にしたとき、私は少しだけ、この街に暮らしていることを幸せに感じるのだった。
斜めの国
今回は2回目の参加となる。前回は、階段、擁壁の「ツギハギ」と「スキマ」が気になり、おおむね目を下に向けて歩いたので、今回は、目を上に向け、頂上をめざして歩きたいと思った。谷戸の道はいくつもの丘陵をくねくねとアップダウンを繰り返しながら縫うように走る。ここにもあそこにも頂上はあるし、標高を測る術もない。あくまでもなんとなくの頂上である。
そんな調子でいくつかの丘陵の集落のなんとなくの頂上をめざして立った。頂上は人家である場合も廃屋付きの空き地の場合もあったが、いずれも眼下には、潜水艦や艦船が停泊する海が広がっていた。頂上にふさわしい海の絶景だ。しかしなにぶん今回のテーマ は“目を上に向け”である。これを頂上で実行したところ、もうひとつの頂上の共通項を見つけた。「電線」である。空に近いからなのかもしれないが、やたらと電線が多く、その張られ方も上から下への向かう斜めを含め縦横無尽な気がした。その電線群のうえの空をのんびりといわし雲が流れていく。これも頂上にふさわしい絶景であった。
頂上の電線景観、これに注目して以降、カメラを向けたのは、谷戸の「斜め」である。日常的には水平、垂直に存在して当然の感覚値で見ているものが、谷戸ではなんとなく「斜め」に感じる。水道の支柱、掲示板、看板表札、物干し台、椅子等々。そもそも「斜め」だからこそ、階段、谷戸も存在する。だからこそ微妙で強烈な「斜め」を意識し、日常生活の当たり前の綻びに気がつき、引っかかる。「何が現実で何が夢」。それは谷戸が、あべこべの「鏡の国」ならぬ「斜めの国」だからかもしれない。
大きく2つの貴重な経験を得られたアートイベントでした。
まずひとつは、遠方に住むアーティストの作品制作に必要な素材集めの特派員としてフィールドワークを行ったことです。初めて訪れる場所であるにも関わらず、現場にはいないアーティストの目となり耳となることで、常に「アーティストだったらこの風景をどう見るだろう」「この風景はアーティストに届けなくてはいけないのだろうか」という、旅先で初めて訪れた場所を歩くときとは全く異なるアンテナを立てる必要がありました。本来ならば、初めて訪れる場所で得ることができる新鮮な眼差しが、アーティストのために写真と映像を記録するという作業を通すことで、全く異質なものに置き換えられたという感じです。
そして、もうひとつは、この10月に横須賀に移住し、フィールドワーク先の谷戸の存在は知っていましたが、実際に初めて訪れた谷戸は、想像以上に起伏に富んだ場所だったということです。先述のように、今回のフィールドワークで意識されたのは、アーティストへ届ける眼差しでありましたが、帰宅後に感じたのは、自分の体に刻み込まれていた極度の身体疲労です。自身の生活圏のすぐ近くで、これほどまで身体を酷使する日常生活が繰り広げられていることに、大きな衝撃を受け、感動しました。ゴミ捨てに行くにも、買い物に行くにも、とにかく起伏のある道を歩かなくては何も始まらないというその事実。しかし、その「疲れる」ことがもたらしてくれる爽快感のようなものも感じられた1日でした。
主催:art contacts
本プログラム「現地特派員プログラム」は”文化芸術復興創造基金 東京海上ホールディングス株式会社ご寄付による支援事業”
として実施されました。